宮城リョータのモデル?相手を置き去りにする驚異のドリブル、ケビン・ジョンソン

宮城リョータのモデル?相手を置き去りにする驚異のドリブル、ケビン・ジョンソン


ケビン・ジョンソンは主にフェニックス・サンズで活躍したPG。NBAの前にはメジャーリーグ(MLB)からドラフトを受け、スピードスケートでも有名な選手と、とにかく抜群の運動神経を持っていた。

その能力はNBAでもすぐに開花し、チャールズ・バークレーとダン・マーリーと共にサンズを牽引。1992-93シーズンにはチームをNBAファイナルまで導いた。惜しくもスリーピート(3連覇)を達成したブルズに敗れてしまうが、王者をあと一歩……というところまで追いつめた。

そんな強豪チームにいたジョンソンは、自身も“超”一流のPGだった。抜群のクイックネスと跳躍力を誇り、垂直飛びは120㎝とも言われている。また、個人能力だけでなく味方をきちんと生かせる一面も持っており、サンズに入団した翌年から3年連続で20得点10アシスト以上を記録。これはNBA歴代でも6人しか記録していない好記録であり、ジョンソンの実力を物語っている。

相手を置き去りにするスピード、広い視野、少し苦手な長距離のシュートと、『スラムダンク』の宮城リョータのモデルとも呼ばれる選手である。

また彼は、こんな逸話も持っている。晩年、怪我に悩まされ1996-97シーズンに若くして引退を決意したジョンソン。しかし、翌年にサンズの成績が落ち込み、プレイオフに進出することが危ぶまれた。ジョンソンは古巣サンズのために復帰を決意。ジョンソンが加わったサンズは、シーズン終盤13連勝を記録し見事プレイオフに進出する。

サンズをプレイオフに導いたジョンソンは再び引退していたが、さらに2年後の1999-00年シーズンには当時のサンズのエースガード、ジェイソン・キッドが膝を骨折して離脱。またもやその窮地を救うべくジョンソンは復帰を決意すると、再びサンズは息を吹き返しプレイオフに進出。その後、“最後の役目”を果たしたジョンソンは、今度ばかりは“本当”の引退を表明した。

最後の引退から8年後の2008年には、地元サクラメントの市長選に出馬し当選。2008年から2016年まで市長を務めた。また、現役時代は地元の子どもたちのために無料でサイン会をするなど、愛情がとても強い。地元やチームを愛し、人望に溢れた“リーダー”的な人物であった。

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